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パロディ・モンタージュ写真事件

Wikipedia第一次上告審判決文

フォトモンタージュ技法は、材料となる写真に存在する権利が問題になることがある。米国においては、米国憲法修正第1条(いわゆる「言論の自由」条項)により、製作者の意志が肖像権よりも優先されるとし、2002年4月17日に連邦最高裁によって「コラージュを禁止することはパロディを認めないことであり、思想・言論の自由を侵すものである」「著作権法の引用に適合する」との判断が下された。

本件は旧著作権法 (明治32年3月4日法律第39号) が適用されて法廷で審理された。ただし現行著作権法 (昭和45年5月6日法律第48号) の施行後に判決が下されていることから、本項では対比のために旧著作権法を「旧○条」、それに対応する現行著作権法を「現○条」と表記して、以下解説する。

第一次上告審 (最高裁) で示された引用の要件は後に「2要件説」とも呼ばれるようになり、適法引用について問われた数々の判例へと踏襲された。しかしこの「2要件説」は以下のとおり限界も指摘されており、後に「総合考慮説」が判例や学説上で登場することとなった。ただし2要件説と総合考慮説はどちらが優れているといった二律背反的なものではなく、時には両立・補完関係にあることから、引用の要件解釈を巡っては混沌とした状況が続いている。

【批判・研究型と取込型の違い】
2要件説の問題1つ目として、引用のパターンすべてに適用できないという批判が挙げられる。たとえば他者発言を引用して取り上げ、メディアや専門家が解説を加えるような、典型的な「批判・研究型」(論評型) には2要件説がフィットする。しかしながら本件フォトモンタージュ技法のように、素材を取り込んだ上で自己の著作物と一体化させる「取込型」の表現形態の場合、明瞭区別性の要件を満たすことは極めて困難であり、自由利用を阻害しかねない、と知的財産権を専門とする法学者の田村善之は批判的分析を加えている。田村のこの指摘は、同じく知的財産法学者の中山信弘や弁護士・清水節、弁護士・福井健策なども取り上げている。このような取込型の場合、以下3点を勘案した複合的な判断が必要ではないかと提言されている

(1)他に代わる表現手段がないか (つまり素材を使う必然性)
(2)必要最低限の引用に留まっているか
(3)原著作者に与える経済的な不利益が僅少か

ただしこの見解に基づいたとしても、アマノのモンタージュ写真は1点目の代替手段の点で条件を満たさない。これは第一次上告審で裁判長の環が補足意見を述べたように、アマノが雪山を自身で撮影してタイヤ画像を合成しても風刺の目的を達成しうるからである。パロディの法的な定義は確固としたものが存在しないものの、パロディの元となった作品が一般的に知られており、何を模倣したのかがあからさまであることが特徴として挙げられている。一方、アマノのモンタージュ写真は素材としてAIUの広告カレンダーが使われているものの、この元ネタを一般鑑賞者が気づかない可能性が高く、白川の写真をわざわざ用いる必然性の説得力に欠け、むしろフリーライダー (タダ乗り) の問題を孕んでいる。

したがって、本件での判決はパロディ全般を否定して萎縮させているわけではない点に注意が必要である。たとえば田中角栄元首相らが収賄で逮捕されたロッキード事件を風刺するため、全内閣の集合写真を素材引用して、顔をピーナッツに置き換えたモンタージュ写真を仮に創作した場合、1点目の代替性・必然性の条件を満たすと考えられる。賄賂の現場で金額単位を表すため「ピーナッツ」の隠語が用いられていたことが、当時のマスコミに大きく取り上げられたためである。このようなケースバイケースや総合判断を求める学説は、田村以外にも渋谷達紀、小泉直樹、高林龍といった法学者からも唱えられている。そもそも、本件はパロディとは何かを直接的に扱った判決とは言えず、あくまで引用の要件について取り扱ったリーディングケースである。しかしながら実態として、本件判決の結果、日本でパロディを通じた表現の自由が法的に狭められたとの見解も複数存在し、本件判決によって日本では「パロディの息の根が止められたかのようにいわれることもある」。

【旧法と現行法の違い】
2要件説の問題2つ目は、旧著作権法下で下された判決が、現行著作権法にもそのまま適用できるのかという問題である。

パロディ・モンタージュ写真事件の判決調査官を務めた小酒禮が「現行の著作権法の解釈についてもそのまま参考になる」と述べたことから、その後も長らく判例上・学説上ともに受け入れられてきた。2要件説が最高裁判決だったことから、その重みを受け入れる学説が多かったとも言われている。

しかし、旧30条の「節録引用」という文言は、現行著作権法では一切用いられておらず「引用」に置き換わっている。したがって、適法引用の要件についても、現32条が定めた「公正な慣行」や「正当な範囲内」という文言に立ち返るべきではないか、という動きが強まってきた。このような引用の目的や様態、また利用される著作物の性質や、引用によって原著作権者におよぼす影響などを総合的に考慮する考え方を「総合考慮説」と呼ぶ。

さらに総合考慮説へと傾かせたのが、2010年の「絵画鑑定証書事件」控訴審 (知財高裁 平成22年10月13日判決、判時2092号135頁) である。これは、絵画をカラーコピーして絵画の鑑定証書の裏面に貼り付けたことから、著作財産権の複製権侵害が問われた事件であるが、絵画のカラーコピーを鑑定証書から引き剥がして単独で利用されるおそれのないことや、むしろ鑑定によって贋作を排除し、絵画の価値維持に寄与することなどを総合考慮し、複製権侵害の訴えは退けられた。「公正な慣行」を柔軟に解釈した判決と言え、2要件には直接的に触れずに引用を認めた日本の高等裁判所の初判決である。

ただし総合考慮説にも限界がある。「公正な慣行」や「正当な範囲内」は一般的な基準でしかなく、こうなると米国著作権法のフェアユースの法理に実質的に近い。米国では多数の判例を通じて基準が具体化しているが、日本も同様の蓄積が必要であるとされている。また、典型的な「批判・研究型」(論評型) の引用であれば「正当な範囲内」の具体的な基準がまさに2要件説と親和性が高い。したがって2要件説を完全に捨て去って総合考慮説に乗り換えれば良いというものではない。

一方のアマノは、独自の思想・感情を反映しており、異質なイメージの既存素材を組み合わせることで、別次元の表現へと飛躍させたとしている。フォトモンタージュ技法は世界的にも広く芸術表現として認められているとして、スイスのダダイストたちが実際に数多くのモンタージュ写真作品を手掛けてきたことや、フォトモンタージュが絵画のコラージュ手法から派生してきており、ジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソといった著名画家らの名を挙げて例証している。フォトモンタージュは旧30条の節録引用に該当し、また現32条1項の引用要件として示されている「公正な慣行」に合致し、かつ美術的批判や社会風刺を目的としているとアマノ側は主張した。

アマノ側は、自動車公害を風刺することがモンタージュ写真の目的であり、白川の原著作物の創作意図を破壊したり茶化して侮辱するものではないと反論した。

しかし第一次の二審のみ、アマノのモンタージュ写真が合法的な引用の要件を満たし、パロディ目的の改変は憲法が保障する表現の自由の範疇であり、かつ白川の氏名表示も不要であると判示し、法廷の場で大きく見解が分かれることとなった。

第一次控訴審 (東京高裁 昭和51年5月19日判決)アマノ側の勝訴。本件モンタージュ写真は著作権法の目的である「文化の発展」に寄与する。タイヤ画像を合成することで虚構の世界観を表現するパロディである。原著作者の思想・感情を風刺・揶揄していることから、そのまま取り込んだ剽窃に該当しない。旧30条の節録引用は、原著作物の思想・感情が改変された本件にも適用される。さらに節録引用を定めた旧法 第30条は、本件においては出所の明示を要求しないと解釈。

一審判決を不服としてアマノ側が控訴している。東京高裁は、巨大タイヤとその直下から下降するシュプールという構図が「全体として現実にはありえない虚構の世界」であると一目瞭然であることから、白川側が主張した「偽作」ではないことは明白だと認定した。アマノは独自の創作性を発揮し、白川の原著作物を取り込んだことから、このモンタージュ写真はパロディであると判断した。これは、フォトモンタージュが風刺目的で創作される場合「言語によらないパロディ」であるとの解釈に基づく。そして剽窃とは、他者の著作物をそのまま取り込むことを指すため、本件は剽窃に該当しないと示された。

また、控訴審で示された旧30条の「節録引用」の法的解釈は以下の通りである。●辞書的な意味での節録とは、適度に省いて書き記すことである。●節録引用は、他者の原著作物の一部を自己の著作物の目的に沿う形で取り込む行為であり、広義である。●取り込む際に、旧30条の定める「正当の範囲内において」の要件を満たしていれば、原著作物の思想・感情を改変しても節録引用だと認められる。●「正当の範囲内」とは他者による自由利用 (フェアユース) であり、公共性の観点で著作者に認められた独占的な著作権には制限がかかる。

アマノのモンタージュ写真は、独自の創作性が認められることから、旧30条の節録引用が定める「自己ノ著作物」に該当すると認定された。

改変と同一性保持権の関係性 (現20条1項) については、第一次控訴審ではフェアユースや公共性の観点を持ち出している。仮に同一の著作物の枠内で二次的著作物を創作しているならば、同一性保持は尊重されるべきである。しかし本件モンタージュ写真は原著作者とは異なる思想・感情で創作された別の著作物であり、、憲法第21条第1項が保障する表現の自由が尊重されるべきだとした。特にパロディの場合、一般的には芸術的価値が低いとも評価されがちであるが、それを理由に引用の目的正当性が否定されるべきではないと述べている。

引用要件の「主従関係」(付従性) を、5年後の藤田嗣治(つぐはる)事件ではさらに発展させ、単純な分量ではなく引用の目的、著作物の性質、引用の様態といった複合的な視点を取り込んだ。また、必然性や必要最小限の引用量というのは、著作者の主観に依存するとして、このような基準で適法引用を判断することに対して否定的な見解を示した。

絶対音感事件は、引用2要件を厳格適用せず、現32条の文言「公正な慣行」「正当な範囲」を柔軟解釈した判例とも捉えられている。

南国文学ノート事件。モデル小説において、主人公キャラクターのモデルとなった実在の中国人男性の詩が引用されている。主人公の心情を描写するのに必要だったことから「公正な慣行」に合致すると判定された。藤田嗣治(つぐはる)事件と同様、必要最小限の引用量という基準に対して否定的な見解を示した。

がん闘病マニュアル事件(東京地裁 平成22年[2010年]5月28日判決)これが引用2要件説を踏襲したとされる最後の裁判例。その約4か月後の「絵画鑑定証書事件」(知財高裁 平成22年10月13日判決)をキッカケに「総合考慮説」に移行する。

「江差追分事件」最高裁 平成13年6月28日判決 (民集55巻4号837頁)。翻案権 (二次的著作物の創作権) や同一性保持権の基準がどこまでおよぶか、具体的に線引きした事件である。パロディ・モンタージュ写真事件よりも翻案の範囲を厳格化したことで、著作権侵害を狭めた (つまり利用者側に有利に働いた) と言われている。

「絵画鑑定証書事件」知財高裁 平成22年10月13日判決 (判時2092号135頁)。引用を規定した現32条の文言「公正な慣行」を柔軟に解釈して、適法引用をより許容した判決。

「節録」とは適度に省略して書き記すことを意味する。他者の創作した著作物を一部省略し、残部をそのまま自身の著作物の目的に沿って取り込むことを「節録引用」と呼ぶ。

本件をパロディの先例判決とみなすことが必ずしも妥当と言えず、2020年現在、日本におけるパロディと著作権の問題は未解決のままだとの見解もある。

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