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映画「ジョーカー」を観た感想

みなさんこんにちは、最近すべてにおいて絶不調で本当に死にたいと思ってる高杉です。

朝から耳鳴りがひどいし、あやしいフィッシングメールめっちゃくるし、ラインの通知は企業のやつしか来ないし、ご飯食べてても砂みたいな味するし、タオルは半乾きだし、ヤクルト買おうと思ったら間違えてピルクル買ってきちゃうし…。

ネットの端っこの方で見事にくすぶっている。っていうかこのブログ、もしかしてちょっとした見世物小屋的な感じで見られてるんじゃないだろうか?熱海の秘宝館みたいなノリで。

だとしたらそれはヤバい。非常にヤバすぎる。気分転換に旅行がしたい。冬の日本海をひとりでボーっと眺めていたい。そんで映画のロケとかやってたら思いっきり邪魔してやりたい。

ということで、今日はそんな鬱っぽい気分の時にドンピシャな映画「ジョーカー」について浅く考察していこうと思います。

主人公はうだつの上がらない中年男性です。コメディアンで生計を立てるのが夢らしい。

とまぁこの時点でかなり痛いんですが、今までの人生で一発当てたことがない人代表みたいなオッサンだから、つい応援したくなっちゃう。 しかも作品の冒頭から音楽とか演出とかがめっちゃアートっぽいし、映像もきれいだから主人公の汚らしさがより一層際立って見えるのが良い。

主人公は見事に何者にもなれてないし、誰にも評価されてないし、才能の片鱗も感じられない。感心してしまうくらいのくすぶりっぷりでとても好感が持てます。イカゲームの主人公の次くらいに好感が持てる。

ですが、もちろんこの映画は社会の底辺層に媚びたり煽ったりして数字を稼ごうとする作品ではなく、ちゃんと切実なテーマが隠されているように見受けられます。

例によって例のごとく、あくまで私の独断と偏見ですが、この映画には2つのメッセージが隠されているように感じました。

今の社会は基本暴力は絶対的な悪であり、社会を変えたいのなら道徳的に正しい手段によって変えていくべきだ、みたいなことになってるが、

第一に、ミャンマーや北朝鮮みたいな独裁政権下において市民の暴力による革命しか民主主義体制への道が開かれていない時、果たしてその暴力は「道徳的な悪」ということで思考停止してよいのだろうか?ということと、

第二に、そもそも道徳自体が歴史的に繰り返されてきた権力闘争の産物でしかないよね、ということ。

男は男に都合のよい道徳を作ってきたし、金持ちも金持ちに都合のよい道徳を作ってきた。

もちろん、弱者も弱者に都合のよい道徳を作ることで、逆に強者を支配してきたし、キリスト教と民主主義なんかはその最たるものだ。

しかし、最近このキリスト教と民主主義という弱者の道徳の二本柱がうまく機能してないよね?そろそろ新しい弱者の道徳を作るべきなんじゃない?みたいなことをこの映画は伝えようとしてるんじゃないかと個人的には勘ぐっている。

で、この作品はとにかくジョーカーが切れまくるんですが、そのキレ方がハンパなくて手がつけられない、というか怖い。

映画を観ているとジョーカーのキレっぷりが細胞膜まで染みわたってきて、なんか観終わった時には顔つきまでジョーカー、歩き方までジョーカーになっていて、しばらくジョーカーが体から抜けないという怪現象が起こる。それぐらい影響力の強い映画。

しかし、毒をもって毒を制す。ジョーカーの恰幅の良いキレっぷりを見ていると、常識や道徳やルールから解放されたような気がして、とても清々しい気分になれる。

というわけで、映画「ジョーカー」についてのお話でした。

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